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【環境変数】生まれる環境を選べないのは仕方がないことなのか

   


大学のちょっとしたアレで一週間カンボジアに行ってきました。
とりあえず楽しかったです。
 
ここではカンボジアとは全く関係ない、滞在中に書きためていたことをまとめます。
 

1 お前よりもっと苦しい人がいるんだから我慢しろ

ぼくは色んな病気を抱えていますが、まあ一応生活もできて、毎日まあまあ楽しくやっています。
しかし、日常の中で不意に、その病気を持たない人のことが羨ましくて仕方がない瞬間がやってきます。
そんな瞬間に「自分よりもっと苦しい病気を抱えている人がいるんだからそんなことでぐちゃぐちゃ言うな」という考えがよぎるわけです。
 
これがどれほど正当性のある考え方なのか、ぼくには未だに分かりません。
 
感覚とは相対的なものです。
何に相対的なのかといえば、自分の過去の経験に対してです。
 
たとえば、ぼくはコンビニのホットスナックはなんとなく体に悪そうだからあまり食べていませんでした。
しかし、カンボジアの信じられないぐらい衛生状態の悪いレストランで食事をして、案の定翌日に腹を壊してからというもの、「アレに比べたらこれぐらいなんともないだろw」と思い、あまり気にせずに食べるようになりました。美味い。
 
これは、今まで「体に悪そう」と思っていた感覚の最低ラインが掘り下げられたことにより、
これまで「コレはかなり体に悪そう」と思っていたものが「コレは体に悪そうだけど、アレに比べたら大したことないし、食べてもなんとかなるレベルだよな」となるわけです。
 
同じような経験は、心臓の病気で死にかけた後にもありました。
多少いやなことでも、「まあこれで死ぬわけじゃねえし」ぐらいに思って仕方なくやるようになりました。
 
注射が怖くて泣いている子どもに、「カンボジアではお前と同じ年齢の子どもたちが飢餓で苦しんでるんだからそんなことで泣くな」というのは全くの的外れです。
その子にとってはカンボジアで苦しんでいる人など知ったことではなく、今の状況は始まったばかりの自分の人生の中で最も恐ろしい時間なのです。
 
ぼくはカンボジアの医療レベルでは、今ごろとっくに死んでいた人間です。
海外まで医療を受けにいこうとしたところで、その高額な医療費を払えるわけもありません。
カンボジアでは、病気や障害で働けない人を救済する制度もなく、家族が養っていくしかありません。
 
「それに比べたらお前はずっと幸せだろ」と言われたら、間違いなく「幸せです」と答えると思います。
しかし、自分の経験の中で決定される「幸せ」と相手のそれが異なっていることは言うまでもありません。
 

2 環境変数を操作できないことは仕方がないのか

ぼくはもともと自分の病気について、「確率的に発症する病気である以上誰かが罹るものなのだから仕方がない」と思っています。
(思っていながらも上記のような疑問は絶えませんが)
 
それは確率的に選ばれる「環境変数」の一つに過ぎません。
 
環境変数には、生まれた「時代」「地域」「健康状態」「家庭環境」など様々なものが含まれます。
ぼくは、「時代=1991年」&「地域=日本」に生まれたからこそ、「健康状態=マルファン症候群」でも治療をしながらまあまあ楽しくやっていけています。
しかしながら、もし「時代=1991年」&「地域=カンボジア」だったら、3歳で死んでいたかもしれません。
一方、「時代=2050年」&「地域=日本」であれば、遺伝子異常である「健康状態=マルファン症候群」はそもそも生まれる前に防げるほどに医療技術が発展しているかもしれません。
 
このような環境変数は、基本的に本人には操作できません。
だからこそ、「もっとイケメンに生まれたかったな〜」とか「いいよな〜お前んちは金持ちで〜」とか「もっと健康な体が欲しかった」とかそんな他人を羨む話が出てくるわけです。
 
ここで、最初に述べた「確率的に発症する病気である以上誰かが罹るものなのだから仕方がない」という点について考えてみると、
確かにこの病気に自分がかかっていることは仕方がないとしか言えず、誰の、何の責任でもありません。
 
しかし、カンボジアを見た時、「環境変数を変えられないことは本当に仕方のないことなのか」という点についての疑問が浮かびました。
 

毎日、荷台に数十人の虜囚(りょしゅう)を乗せたトラックがやってくる。
トラックはゲートをくぐると、急ブレーキをかけて止まる。
荷台から吐き出すようにして虜囚が下ろされる。
彼らは手錠が外されないまま、ブロイラー小屋のような狭い建物に、ブロイラーのように押し込まれた。
 
「別の場所で働くことになった。」
虜囚は前にいた場所でそう聞かされてここにやってきた。
多くは自分に最後の時が近づいていることを察していた。
拷問や、過酷な労働から逃れられるなら「死」は安らぎに思えた。
 
毎晩、夜になると大きな音で音楽が流れる。
看守が扉を開ける。中から数人が呼び出された。
呼ばれた者は、胸ポケットの写真を引っ張り出して、そこに映る家族や恋人の顔を目に焼き付けた。
そして残された者に一瞥して鶏小屋をでると、看守とともに暗に消えた。
連れ出された虜囚はある場所に着くと目隠しをされる。
もう何も見えない。
鳴り響く音楽が聞こえるだけ。
看守が腕を引き、10歩くらいのところで地面に膝まずかせた。
何も見えない。
目の前のすえた匂いが鼻を突く。
 
看守の手にはスコップやバット、金槌。
銃ではない。
それを大きく振りかざした次の瞬間、命を失った体が暗い穴に転がり落ちる。
 
次の虜囚が連れてこられる。
看守は手に、地元人が鶏の首を切るのに使うトゲのついた植物を握っている。
看守は人間の喉にそれをあてた。
断末魔の叫びは大音量で流れる音楽に全てかき消された。
あなたも旅に出たくなる! : カンボジア:キリングフィールド ポルポト派による大虐殺②

カンボジアには「キリングフィールド」と呼ばれる地がいくつも存在します。
それは何の罪もない人々が、わけもなく大量に虐殺された地です。
 
どうしても、ただ環境変数が特定の値になっただけの人がこんな仕打ちを受けるのを仕方のないこととは言いたくない。
 
これが仕方ないのであれば、ぼくは病に抗うのをやめて今すぐに死ぬべきなのではないでしょうか?
 
最近はそんなことばっかり毎日考えています。
研究が進みません。
 


 - 病気

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