多様な感性が社会を救うんだなあと思った話

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シカゴまでのフライト11時間、空いていたはずの隣の席にどっかから老人が移ってきてずっと読書灯をつけっぱなしだったせいでほとんど眠れなかった。しかし、おかげで途方もないくらい長い考える時間ができたし現地で夜即座に眠りにつけたので時差ボケもなかった。

多様性は人間の生存戦略?

多様性社会といわれて久しいですが(まあ個人的には「お前ゲイなの?wwwww」「ゲイじゃねーよwwww」みたいなノリがいまだに社会からなくならないことが全く気に入らないが)、「多様な人間の存在を許容することが社会に及ぼすメリットはなんなのか」ということをずっと考えていました。たぶん下に貼ってる知恵袋の質問を読んだ2011年からだと思います。
もちろん21世紀の文明社会においてはメリットなど考えず人権を持つ全ての人間が等しく生存権を保有するなんてことは当たり前すぎる前提ですが、その上でその生存戦略をとった場合にこの社会にもたらされるメリットはなんなのか、というところにずっと疑問が残っていました。「多様なあらゆる人間に存在する権利はあるしそれを保証することはメリット云々抜きに実現されるべきことだけど、実際その社会を実現させた場合にどんないいことが起きるのか」という問いです。(何回も同じようなことを繰り返し書いている意図はわかってください)

多様性に関しては、知恵袋に落ちているかの有名な質問「人間社会はなぜ弱肉強食ではないのか」の質問内容とそのベストアンサーを読んでください。今回のブログの問いも発端はそこです。
要約すると「様々な人間を遺し互いに助け合うことで全体が生き延びるというのが人類の生存戦略である」ということなんですが、当時正直あんまこの文章の意味が(頭ではわかっているけど)直感としてはあんまり入ってこず、ずっと頭の片隅に引っかかっていました。「生存」という言葉が示す危機もわからなければ、多様性がそれを解決する道筋もわからなかった。
何度も繰り返しますがあらゆる人間に生存権があるのは当然のことで、たとえあらゆる人間に生存権を与えることが結果として人類に何の便益ももたらさなかったとしてもそれはやるべき努力です。その大前提を構築した上で今はあえて便益について議論しています。もちろん様々な職能を持つ人が互いの強みを生かすという意味での多様性社会は人間世界が誕生した時点からそうだとは思いますが、感性の部分に強くフォーカスしたものってあんまり見たことがなかったんですよね。

そんなことを考えながら何年もだらだら過ごしてきたんだけど、最近ふと多様な感性が社会を救う様子をまざまざと見せつけられ、俺は非常に驚いたのであります。そしてあの質問とその回答が浮かび上がってきて、それは紛れもなく多様な人類がもたらしうる便益の縮図だったんだなと思った。まあtwitterの出来事なんだけど。
ここしばらく、twitterでは他人のツイート(特にネタツイートなど数万規模でRTされてくるもの)のリプ欄(今はスレッドとか呼ぶわけだが)に脈絡もなくグロ画像を飛ばすテロが非常に流行していたんですよ。それで多くの人間が被害(簡単にいえば嫌な気持ちになる)を被ったわけです。(話逸れるけど俺はこういう「人間がコストを払うのが危険なタスク」こそ機械学習で捌くべきだと思うの。)
しかしそこに突如として「グロ画像に耐性を持つ人たち」が現れ、彼ら彼女らの完全な善意のみに基づいて、 #このリプ欄にはグロ画像があります タグを貼り始めた。そしてそのおかけで、俺も含めてかなり多くの人たちが被害を被らずに済んだ。
これは「自分の役に立ってくれたから役に立つ」とかいう馬鹿みたいな話ではないし、もっといえば「ただタグ貼っただけじゃん」と思うかもしれないけど、これってそもそも多様な感性を持つ人たちがいなければ成り立たないことなんですよ。ちなみに全員がグロ耐性持ってたらホラー映画はこんなに盛り上がるエンターテイメントにはなっていなかっただろうし、得意な人もいれば苦手な人もいるという多様さが重要なのであります。
これはつまり、まさしく先の知恵袋の回答にあるような

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する

の縮図なんですよ。
様々な感性・価値観・強み・弱みを持つ人たちが存在した上で、その構成員たちが相互に弱みを補完しあうことで社会が回るわけです。そう考えると、世界の誰しもが誰かしらの役に立てるわけで、すごくない?なんて書くとなんか陳腐で馬鹿みたいだけど、実際すごいことだと思う。他人の役に立つことだけが人間の生きる意義であるというわけではないけど、人の役に立てるというのはすごいことですよ。

社会では「こんな気持ち悪い感性のやつは殺してしまえよ」みたいなことをいう原始人みたいな人がたまにいるんだけど、そう思ってる相手でも実は自分が助けられる場面ってたぶんめっちゃあるんですよ。まあ仮に助けられていなかったとしても、なんでお前が嫌だからって死ななきゃいけないんだよって話なんだけど。

まあ俺なんかもアホみたいに体弱いけど、好き勝手に研究と音楽やって楽しく生きて、しかもそれが他人の役に立ったら最高じゃん?そんだけの話。…1つ前のブログのぶちギレようから打って変わってどうしちゃったんですかね。シカゴのメルティングポッドに突っ込まれて軟化したんですかね。



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