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耳管開放症, SAS, 統計解析, 人工知能, プログラミングそれに思考

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環境や教育が子供の興味関心に与える影響は計り知れないと思った話

   

人の興味関心の移ろいというのは面白いもので、俺は自分でもまさかこんなトピックで記事を書くことになるとは思いもよらなかった。でも考えてみればこれは元祖うずまきっぽい内容かもしれない。

みんな知らないものに全然興味を示さない件

知り合いで今年大学に入ったお子さんやその親御さんたちがいる。知り合いの親御さんたちは口を揃えて「お金出してあげるから海外でも行っておいで」と言って,子供たちに海外の景色というものを見せてあげたいと願っているようだ。しかしお子さんたちはみんな「留学?意味わかんない」「英語話せないし」「バイト忙しい」(?)とかいって行かないのだ。我が家は俺が海外大好き(ありがたいことに機会に恵まれて短期でアメリカとマレーシアに留学もした)で、妹は妹で親の反対を押し切ってもう数年はヨーロッパに留学しており、我々は口を揃えて羨ましがっている。我々と彼らの何が違うのか。

別に留学するのが正義なわけではない。このご時世テロをはじめとして危険もあるし、海外の夜道の危なさは日本の比ではない。使えもしない英語なりでコミュニケーションを取って生きていくのが大変なのも理解できる。
でも、俺は英語のために留学しろと言っているわけではない。はっきり言ってこの先ビジネスレベルであればもう英語なんか話せる必要などなく、「英語が国際人の必須教養」なんて言っている人をみるとこの人ちょっと大丈夫かなとさえ思う。先日堀江貴文さんもオススメしていたMicrosoftのスカイプでのリアルタイム通訳の実装(最大100人まで同時通訳ーーMS、日本語の音声リアルタイム翻訳を提供開始 Skype翻訳も日本語対応 – Engadget)をはじめとして、日本語さえまともに話せればコミュニケーションには困らなくなる時代はもうすぐそこまで来ている。僕もクラウドファンディングでゲットしたあのウェアラブル指輪Ring(本体が分厚くてほとんど使わなかったけど)を開発したLogbarの新しいプロジェクトで,実物は触ってないけどオフラインウェアラブル翻訳デバイスili(イリー)も面白そう。誰かデモついでに触らせてくれる人いませんかね。

話が逸れたけど、ではなんで留学しろと言いたいのかといえば、月並みだけど学生のうちに自分の知らない世界を本当に可能な限り見まくるのが大事だから。こう言うと表現が陳腐すぎて「またそれか…」って感じなんだけど、留学というのは世界の広さというか、人間(もはや人種とかのレベルではなく人間)の多様性というものをまざまざと見せつけてくるのだ。「何が正しいとされているのか」「どういった仕草が丁寧なのか」「何を食べ何を学び何を楽しみどう生きて何を目指すのか」そんな、人間として当たり前なんじゃないかと思うようなことですらも、その場所によって、その集団によって、その個人によって全く異なる。これは単に「海外のやり方が正しい」だとか「グローバルスタンダードに倣え」だとかそういうレベルのくだらない話ではなく「正しさ自体がそもそもひとつではない」ということを若いうちに肌感覚で知っておくことが極めて重要だという話。

そういうのが就活にも役に立った

それは同時に、仮に留学しなかったとしても、国内にとどまったとしてさえも、「色んなもの」に触れなればいけないということになる。学業も大事でいろんなことを要領よく(ここ大事)学んでほしいし、バイトも大事。それはもちろん両立しながら、たまには貯めたお金で旅行に行ってみるとか、なんかわけのわからない面白いものを誰よりも先に体験してみるとか、いろんなことをしなければいけない。Selendipity(セレンディピティ)というのは本当にいい言葉で、行おうとしている目の前のことが自分にとって何の役に立つかなんていうことは全く考えるだけ無駄。いろんなことをやればやるほど、あとでそれがどこかしらで役に立つ確率がぐんぐんあがるのだ。仮にどこにも役に立たなかったとしてさえも、「俺こんな役に立たないことをやりました」という馬鹿な話が先輩との飲み会の席や就職活動の面接で意外とウケたりする。本人が学業なりをしっかりこなして能力があるとみなされていれば、その先で示すべきものは「自分はこんなにいろいろなものに興味関心を持って挑むことができるんです」という挑戦の精神だ。コミュニケーション能力の有無なんて、仕事をするのに本当に必要な人材となら嫌でもコミュニケーションせざるを得ないんだから、実はハナからどうだっていいのだ。

若者の無関心の原因は本当に若者にあるのか

ここまで、様々なことに興味関心を持って挑戦することが自分の厚みになるという話をした。しかし残念なことに自分の世代もそうなんだけど、いろんなことに関心が持てない(=成績とか、自分に直接かかわってくることにしか頑張れない)人というのは結構いて、俺が楽しそうに音楽の話とかすると「お前はいいよなあ趣味があって」とか言ってくるわけだ。探索的に物事に挑戦できないとでも言えばいいのか。遊ぶことをいいことだと思っていないような節さえある。

ただそれが子供や若者だけの問題かと言われればそれも疑問で、俺はその点について本人ばかりに責任を押し付ける世間には多分に怒りを感じています。最近の若者は消極的だとか、うるせーよって話ですよ。
はっきり言ってそういった子供の無関心を招いた根本原因は間違いなく、そこに至るまでにいろんなことをやらせてあげなかった/見せてあげなかった/きっかけを与えてあげなかった親にある。大学に入るまでは勉強ばかりを押し付けていた子供に、大学に入った途端に巨大な自由を押し付けて「ほら、なんでいかないの!あなたは自由なのよ!」と急き立てられたところで、目隠しされて広大な砂漠に置き去りにされたようなものかもしれない。一度興味を持ったのにそれを奪われる、という流れを続けていると、いざ何か楽しいことを探そうにも、これまで興味を持つきっかけを与えられなければ探し方もわからないだろう。楽しいことの探し方自体を探すことを楽しめるのは、これまでも人生を探索的に楽しんできた人たちだけなのだ。

俺は教育に興味が出てきた

ここまで家庭環境が幼少期に与える影響について具体的に述べたけど、自分自身は普段人工知能モデルの開発とかやっていて、日々まっさらなモデルにどういうデータを突っ込んだらどういうモデルができあがるのか試行錯誤しています。今思えば明らかにそれに端を発して、最近は皮肉にも教育、それも幼少期に社会や親といった周囲の環境がどう思想や物の考え方といった部分に影響するのかという部分に強い興味が出てきたわけです。

教育、文化、歴史、発展経路なんていう言葉で並べると陳腐すぎて言う気が失せますが、実際そういった外部環境がいかに人間の考え方に影響を及ぼすかというのは今個人的に考えたいトピックのひとつになっています。

日本人は「みんなと同じがいい」「間違えるのは恥ずかしい」「相手に変だと思われたくない」という精神性の問題なのかどうしても議論をしたがらない。それが政治や社会について語り合わない要因の一つになっていると思うんだけど、同じことは「問題を直視しない」という特徴にも影響を及ぼしているんじゃないかな。


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