日本は人工知能が職を奪う前にそもそもジョブマッチングが機能していない話

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餃子が馬鹿みたいに好きという以外に特になんの食の好みもなかったのだが、最近は新玉ねぎ、ナス、じゃこなど今まで全く好きではなかったものが急激に好きになってきてしまった。俺は中年になったようだ。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

まっじで良書。
先日終わってしまった「ロボットは東大に入れるか」(通称東ロボくん)プロジェクトを率いたNII(国立情報学研究所)新井紀子先生の著書。東ロボくん自体がちょっとアレだったのであんま読む気がしてなかったんだけど、別のルートで改めてお勧めされたので読んでみたところ、さっさと読まなかったことを後悔した。

そもそも東ロボくんの開発意図が結局のところ「機械学習に何ができて何ができないのかを明らかにすること」、ひいては「それによって、人間との分業のための判断基準にすること」だったとはまじで知らなかった。つまり「東大?入れねーだろw」とは内心思っていたがそもそも別に入れなくても良かったのだ。直接的に叩いたことはなかったけど「どうせ東大入れて日本発のシンギュラリティとか言いてえだけだろw」としか思っていなかったので申し訳なさが募った。

まだあんまり読み進めてないけど、(そのレベルでブログの筆が進み始めるほどの衝動だったことは理解して欲しい)その辺の機械学習のことなんか何も知らないくせに人工知能の脅威とか喚くゴミブロガーども(昔の俺含め)が語る未来みたいなものより遥かに現実的だなあと思う。みなさんサラリーマンdisの題材に大して知らない人工知能を使うのが本当にお好きなようだけど、本当にまともな人工知能ができてしまったら中流以下のブロガーなんて真っ先に代替されて消えるわけです。日経のAI自動生成の記事とか見てもわかるように、データと型さえあれば人工無能でもあれぐらいは簡単に吐けるんだから、自分で情報蒐集まで完結できたらクッソ強い。

本の中身としてはまだあんまり読んでないからあれだけど、序盤の方は東ロボくん開発の過程や学力テストから得られた知見を元にした内容が多いから論理の骨子がしっかりしている。何より一般的な機械学習エンジニアとか人工知能系の研究者と違って開発すべき特化型AIの対象分野が画像/音声認識とかではないから人工知能技術をちゃんと統計モデルの延長として語っていて、そこがめっちゃでかい。
工学ではなく統計学の延長として近年のAI技術を俯瞰すると確かにそれが自分で物を考えて提案しているとは到底言えないし、IOとしてのインターフェイスをみんなの考える未来の人工知能“““っぽく”””するだけで実際の中身は条件分岐の渦、みたいなものを本気で「人工知能を作っている」と言えるのかマジで微妙なところですわね。
俺も普段何も知らない人相手にはふざけて「人工知能作る仕事してますw」とか言うけど、俺が作ってんのなんて実際のところただの機械学習手法(つまるところただの中身の見えない統計モデル)だしね。

さらにいうと、俺は去年の暮れぐらいまでは「人工知能に仕事が代替されたって新しい仕事ができるんだから別にいいだろw」ぐらいに思っていたんだけど、最近非常に漠然と考えていた、「今の仕事の一部がAIに代替された場合にもちろん新しい仕事はできるだろうけど、効率化によって新しく出てくる仕事は1/100ぐらいの規模にまで縮小する(逆に言うとそこまでできなければ今の日本じゃAI開発より人件費払った方が安い)だろうし、何よりそこで生まれた新しい仕事がやれるのは割と一部の能力を持った中間層だけで、結局下の方が仕事にあぶれてめちゃくちゃになるんじゃないかな。(ちなみに上位層はそもそもそんな仕事はやらない)」というモヤモヤした思いが、本書では序章の時点で既に綺麗に言語化されている。したがってまだ1章までしか読んでいないのに既に良書認定した。そこの部分だけ引用させてもらう。

では、AIに多くの仕事が代替された社会ではどんなことが起こるでしょうか。労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷間には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々が溢れている。結果、経済はAI恐慌の嵐に晒されるーーー。

まあ前半部分なんて日本ではもう実現してるような気もしますが。ちなみに深刻な人手不足と最低賃金の跋扈はそもそも「世間で足りてない仕事」と「職にあぶれてる人の専門性」に乖離がありすぎることに問題があるわけで、その解決のためにたとえば解雇規制の緩和をしたところでブラック企業を辞めた人同士がお互いの空いたポストに入り込むだけなのではという気がする。これはジョブマッチングの失敗であると同時に、修学後も自主的に専門性を身につけるべきという空気を醸成できなかった日本の教育の失敗でもある。そういったマッチングがうまくいかないからAIエンジニアはいつまでも足りないし、介護職をはじめとして余剰労働力が特定の領域に集まっちゃってるから当該領域は供給超過でいつまでも給与が上がらない
必要なのは学習機会としての「生涯教育の普及」(=大卒だろうと大学を出たら座学は終わりという謎の風潮の終焉)と「学習に割ける時間的な余裕」じゃないですか。お金がなくとも1万円のスマホと100円の筆記用具さえあればスタバの電源とWi-Fiで十分身につくものはたくさんありますからね。

そういった人たちの専門性を高めるために「お金もらいながらプログラミングを学べる!」みたいなのも出てきましたね。まあ大半はロクな職能にならずそれこそ数年後には人工知能に食われてるような気がするけど。
twitterで今日まさに誰か言ってたけど、プログラマーは手に職があって羨ましい!とか言われるけど、手に職があるようなプログラマはみんな元々好きでやり始めたようなやつばっかなんだよね。教育ママが幼い子供にプログラミングやらせてんの見ると「うわーあんな風に押し付けられちゃって、絶対プログラミング嫌いになるわーかわいそうになー」と思ってしまう。学校教育でよくわからんまま数学やらされて嫌いになるのと同じ。

そう考えると、書籍のこのタイトルだと子どもたちに対して警鐘鳴らしてる風だけど、ぶっちゃけ新しいものの習得意欲をなくした/新たな専門性を得る機会を自分で掴みに行かなきゃいけない大人たちの方が遥かにやばいんだよね。子供たちは大学で専門性を得る機会が(大学のレベルにかからわず自分の意欲次第で)まだいくらでもあるし、少なくとも「大学入ったら4年間遊べばいい」っていう考え方はそろそろなくなっていきそうですね。
ちなみに「AIだから時代はプログラミングだ!」とか思われている保護者の皆様は考えが10年遅いです。プログラマなんて今の時代腐るほどいるので、プログラミングを専攻するんじゃなく自分の本領域(金融わかります!法律読めます!行動経済やってました!みたいなね)を持った上で武器としてプログラミングできんのが一番強い。欲を言えばそこに英語と海外に抵抗さえなければ(俺は奇跡的にかなり早い段階でその圧倒的ブルーオーシャンにマッチングした)、このご時世に接待みたいなインターンで丁寧に社会勉強させてもらえたりする。

俺は食の好みが中年になってもまだ死ぬほど新しい物好きなのでもう少し世の中の潮流に乗っていけそうです。



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