カウンターカルチャーと政治活動

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この辺の話を書くと面倒な人間が湧くから本当はあんま書きたくないんだけど。

ロックでもヒップホップでもパンクでもいいんだけど、特定の音楽が内包する信条としての「巨悪や大きな権力といった何か大きなものと闘う」というカウンターカルチャーの構図に本当にたまたま合致しているだけの幼稚なデモや反政府的活動に音楽好きな同年代たちがのめり込んでいく様子を見るのは本当に悲しい。(40のおっさんとかがのめり込んでいるのに関しては「どんな人生歩むとこんな風になるのかな」としか思わないのでどうでもいい)

わかりやすい課題と敵を設定されたその場では、非常に容易に「活動することで何らか社会(というか未来)の役に立っている」「自分たちも歴史上のスターのようになれる」かのような錯覚[重要]に陥るよう設計されているし、予め設定された敵を盲目的に倒すことに一心不乱になれるという意味ではRPG(=与えられた世界で与えられた課題を与えられた視点と与えられた役割と与えられた手段に則り解決する遊び)的でもある。

RPGと異なる点として、ビジネスでも人生でもまあなんでもいいんだけど、永遠にゴールに到達しない活動というのは終わりなき楽しみがある。そしてその中に存在することは正義感が満たされるという意味で非常に居心地がいいんだと思う。カウンターカルチャーにのめり込んだ人々(=ゲームのプレイヤーたち)は根拠なき正義感だけを燃料とした無償労働に向かわされる。そこにあるのは信条ベースの連帯であり、その強固な連帯はある種宗教的でさえある。そういった意味でシステムとしては素晴らしいものがある。ブロックチェーンと同じぐらい素晴らしいシステムであると同時にブロックチェーンと同じぐらい使い道がないと思う。

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