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耳管開放症, SAS, 統計解析, 人工知能, プログラミングそれに思考

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「存在を許容すること」と「生理的に受け付けない」のは別問題だという話

   

多様性社会にはいろんな人がいる。

我々は偉そうに多様性社会だとか言うが、勘違いしている人も多いようなので言っておくと、残念ながら社会とはそもそも多様である。一般的に使われている”多様性社会”というのはたぶん「多様な人間が存在する社会」なんだろうけど、俺が言いたいのは「多様な人間がその存在を許容された社会」こそが多様性社会なんだということ。それとこれとは全く異なる話なのでちゃんと分かってください。

つまり、社会にはもともと多様な人間がいる(超重要)のに、人々がその存在を見ていなかった、もしくは存在を許容されなかったがために姿を隠さざるを得なかったに過ぎないのであって、自分の狭い人生経験の中では見えていなかっただけの社会の異なる側面を「昔はマイノリティなんていなかった」だの「最近マイノリティの人増えたよね。これも時代かな」だの言うのは完全に間違っているのである。人々が多様性に対して理解を持って初めて多様性社会が実現する。

私も多様性の研究とかもやってる(正確にはマーケティング(笑)という広い分野の中で人工知能だの機械学習だの統計学だの多様性だのいろいろな概念を持ち込んであーだこーだやってる)ので色々と思うところがあるんですけど、多様性というのは別にセクシャリティとかディスアビリティとかに限った話ではなく、人間というのは本当に多様なんですよ。するとですね、中には必ず、必ずです。必ずあなたが生理的に受け付けないような多様性を持つ人が存在します。

まあ俺だって昔はこの痩身のことで本当にボロクソ言われたもので、まあボコられたりもしたし、あの頃はまだ純真だったので結構間に受けて悲しみにくれたりしていました。Hip-Hopに出会って(笑)図太くなってなかったら今でもあのままだったかもしれませんね。

そういった意味で多様性社会だからと言ってあらゆる存在を「受け入れ」るというのはおそらく無理で、しかしそれは仕方がないことで、存在が多様であるのと同様に受け手の感性もまた多様でしかるべきなんですよ。そもそもあらゆる人間を受け入れることのできる人ばかりではないし。俺も人間的に大嫌いな奴とかいるし。

だから、たとえ相手のことを生理的に受け付けないとしてもそれは仕方がない。仕方がないのだが、社会に存在することは許容しなければならないんだと思う。自分と関わらないどこか別の場所に存在するならいい、ぐらいの精神は最低限見せなければならず、そしてそれは多様性社会における責務なんだと思う。

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