なぜ勉強は大切なのか。

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別に勉強で世の中が分かるわけではないし、勉強するだけでお金が稼げるわけでもない。勉強ができるから偉いわけでもなければ、勉強ができれば仕事ができるわけでもない。

でもなぜか勉強は大事なのだ。

「人間には知識欲があるから〜」みたいな、全員にあるのかわからない”欲”を勝手に定義して問題を終わりにしたくはないのでもう少し考えてみることにする。少なくとも性欲のない男性だっているのだ。

父親は「やりたいことがないならとりあえず勉強しておけ」と言っていた。そしてその教育法は、少なくとも体が弱い上にやりたいこともこれといって持ち合わせない俺に対しては疑いようもなく有効だった。ただし、勉強が”人生のつぶしをきかせるためのもの”ではないことだけは今になってやっとわかった。

気づけば博士なんていう仰々しい(だけの)ものも取ってしまって、めちゃくちゃ勉強のできる人みたいになってしまった。しかし博士になって人工知能学会に査読付き論文を通して学会発表をやったところで、正月に親戚と集まって大富豪をやればボロ負けするし、たまにものすごく馬鹿みたいなことを言って6個も7個も下の従兄弟に呆れられたりもする。そんなもんだ。

とはいえ勉強をやってきてよかったなと思うことは意外と多くて、何より判断のサポートをしてくれる。これまでに「こんなもん誰が信じるんだよw」なんて笑えてきてしまうような、不自然なほど綺麗に組み上げられた陰謀論にいくつも出会ってきた。しかしそんなものでさえも、その内容がどれほど荒唐無稽だったとしても、内容と状況と相手によって一定割合の人たちは簡単に信じ込んでしまう。なんなら信じていなくても泣き落としで信じたふりをしてお金を払ってくれる人までいる。みんな優しいのだ。

本当は全国民が自分で真偽を調査し判断できる能力を持つのが望ましい。とはいえ防衛側のスキルが上がれば攻撃側のスキルがあがるのもまた自明であって、誰しもにそのスキルが身につけば今度はまた別のアプローチが仕掛けられるだけという意味で、実は大した意味もない。

なにより何かしらの”絶対的な正しさ”にすがっていないと不安で生きてゆけない人たち(決して彼らが悪いわけではない)というのは少なからず存在しているし、その彼らをうまく丸め込んで甘い蜜を吸おうとする人たちというのもまた少なからず存在している。そして、何を信じ考えようとあらゆる自由が保障されている日本においては、他人が信じている何かを糺すことはできない。それは仮に客観的に見て本人がその信条によるところで明らかに損な人生を歩んでいたとしても、本人の本意でそれを続けている以上、それを止めることは彼の自由や権利を奪うことになりかねない。裏を返せば、最後には誰も助けてくれないかもしれないのだ。つまり、世の中でいくらでも提示される”それっぽい話”に出会った時、自分でその都度学び、判断しなければならないのだ。

だから勉強は大事なのだ。
いくら多くの答えを知ったところで必ず知らないことは出てくるし、答えを知ることが大事なのではなく、答えの探し方を知ることが何より必要なのだ。

全体的な底上げに意味がないのは、逆にいうと勉強をしていない人がいる中で自分の相対位置が上がるからこそ意味があるってこと。残酷な話だけど、みんなが同質的に勉強しているならそこに競争優位は生まれないわけで。

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