長生きできない人間の話

Share Button

これは自分自身に対する純粋な疑問であって、他人を貶す意図は本当にないことをご理解いただきたい。

死というのは、ものすごく悪い言い方をすると、自分の過ちとか、責任とか、それら全てを放棄して消えるということだと思う。少なくとも今の俺にはそう見える。(事故や事件で本人の運命とは無関係に命を落としてしまったような方にまでそれを当てはめるつもりはない)

俺がそんなことを考えてしまうのは自分自身への極めて現実的な問題提起でしかないのであんまり怒らないでほしい。つまり、「予め長生きできないことがわかっている人間に、子どもを育てる資格はあるのだろうか」ということがわからなくてとにかく困っているのだ。人生をある種無責任に楽しむだけ楽しんで、自分に大きな責任が残ってる状態で「あー死んだ!もうダメ!あとはよろしくね!」つって逃げることは許されるのかなということだ。

俺は”再生産”によって自身にかけられてきた教育コストを下の世代に再投資したいのだが、したいがしかし、俺は場合によっては(本当に最短で計算すると)あと10年ぐらいで死ぬ。医療の進歩を見込んで20年にしてもいいかな。20年あったらなんとかなるかな。10年で死ぬやつが子供作るとか無責任にも程があるんじゃね?という不安があるのだ。

ただまあ、思考は現実化するというのは結構その通りで、あんまりにも深刻に「あと10年で死ぬ…あと10年で死ぬ…」とか考えていると本当に死ぬので基本的にはいつも通りだらだら生きてゆきたいのだけど。しかしたとえば背骨とか、いろいろとマルファンでガタが来そうな予兆があるんだよね。だから不安なの。

大動脈剥離さえ起きなければとりあえず最大のリスクは回避できるので、そこだけ気をつけたい。神様〜なんて言うつもりはないけど、酒も電子タバコもやめて筋トレして運動までしてんだからその辺は少しでも評定に考慮していただきたいところ。

とりあえず、人生を加速させなければいけない。
もしかしたら、もはやブログなど書いている暇はないのかもしれない。
今さらとろとろ自分の考えを言語化していても仕方ないのかもしれない。

少なくとも、今年からはもうやりたくない付き合いは全部断って自分のやりたいことばっかやります。全て自分のためですが何卒ご理解ください。

style="display:block; text-align:center;"
data-ad-layout="in-article"
data-ad-format="fluid"
data-ad-client="ca-pub-3546003055292762"
data-ad-slot="5749192034">

Share Button

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.