命を燃やすこと

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20階まであるこのクソでかいオフィスビルにたったひとつしかないクソ狭い喫煙所。そこに人間がぎゅうぎゅう詰めになって煙を燻らせているのを見るたびに、人々が自身の寿命を対価に今を謳歌する姿が羨ましく映る。あらゆる快感とは緩慢な自殺に向かうことへの背徳的な衝動なのかもしれない。

飲むと30分間咳が止まらなくなるが命を燃やす感覚が忘れられず毎日必ず飲んでいたレッドブルをやめたのが3年前。

頻度としては低いものの、色々と葉や紙にもこだわって取り寄せる程度にはまあまあ好きだった巻き煙草をやめたのが9ヶ月前。

狂ったように呑んでは海外で死の寸前まで堕ちる程度には好きだったお酒をやめてもう2ヶ月。

特に酒に関しては周りには体調が悪いからやめると言って回っているが、本当は違う。そもそも元からアルコールには強いわけであって、俺に限って飲酒で体調が慢性的に悪くなるようなことはない。

俺がこれらをやめた理由は、はっきり言ってしまえばもう、年を経るごとに無様にも長生きしたくなってきたからというそのたったひとつだけ。俺はいつ死んでも悔いのない生き方をいつの間にかやめてしまったのだ。
現に俺は今この瞬間には絶対に死にたくないとすら思っている。なぜなら今この日々を頑張れているのは来たる未来に糧があるからであり、その糧を得られずに死ぬわけにはいかないからだ。

初めの頃、落合陽一が喫煙者なのは正直意外だった。しかし彼が命を燃やして日々価値創造を続ける姿は美しく、しかもその寿命をすり減らす行為を世代交代とまで言い放った。本当は全てを犠牲にしてああなりたかった。
だがもはや、いくつかできてしまった決して捨てたくないものを見捨ててまで自死に向かう理由はもはや見あたらない。身軽さを失うことだけは絶対に避けたいというその一心でこれまで何も拾わずに生きてきたはずだったのに。

今すぐではないが、おそらく、次にやめるとしたらそれは珈琲だろうと思う。俺が珈琲をやめるなんて本当に信じられないが、カフェインを摂ると胸が痛くなる時がある以上、いずれやめる日は来る。

これだけのものを捨ててまで一体何を欲しているのか、正直自分でもよくわかっていない。とはいえ、音楽を聴くことをやめない限りは死にはしないので大丈夫ではある。

完全にNakamuraEmiのスケボーマンそのままの人生になってしまった。
このブログはこんなエモい話ばっかり書くための場所ではなかったはずなのだが。




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